「私って、自由にしたことが無い。」と、のたまうMEさん。今日も出勤途中、植え替えした植物ちゃん(まだ名前覚えてない困ったちゃんです、ごめんなさい。)3鉢持ってきてくれました。
そおなのかなあ?結構自由人だと思うけどなあ?話聞くと、楽器習ってるし、終日カラオケ会なんてやってるし、イベントの手伝いなんかにもかかわってるし。
どうも人は、「自由」って言葉を「自由に…する」の「…する」の部分を自由に省略して使ってしまうみたいですね、あはは。
MEさんの場合は、「自由に時間を使う」とか「自由にお金を使う」とか「自由に休みを取る」などの限定した範囲での自由のことを言っていたみたいですね。
Wikipediaでの説明でも、いろんな使用法があるみたいで興味深いですね。
その中でも私がしっくりくる使い方は、「各人が思うように行動できる力」という意味での「自由」なんですね。
確かにお金と時間を自由に使えたら何でもできる気がしますよねえ、実際わたしもそんな風に思っていました。…と、なんで「思っていました。」と過去形なのかというと、今はちょっと考え方が変わっているからです。
先ほどの「各人が思うように行動できる力」の「思うように行動できる」の部分が重要になってくるのですが、お金があれば「他人の提供してくれるサービスを使う」ことはできるんだけど、それって「自分ができる」こととは違いますよねえ?
かえってお金がふんだんにあると、他人の提供するサービスばっかり使っちゃって、それが楽なもんだから自分では何もしなくなっちゃって、何のスキルも向上しなくって、大人になっても何もできない人、ってなっちゃいませんかね?それって自由なの?違うよね?
こんなあたりまで話をすると、さすがにMEさんも「ああー!そうゆうひといるわあ!」と、ご納得の様子。
ほーらねっ、あなたは自由に植物ちゃんと触れ合ってきた『植物の女神』でしょ?
ご機嫌になったMEさんは、我が家のノビノビになったポトスちゃんを「植え替えてあげるからねえ、元気になるよお。」と、連れていってくれたのでしたあ。チャンチャン。