男はみんな、「七五三」なんだって

これは、Cafeのお客さんに聞いた話なんですが、「男ってのはね、いくら年齢いってたって結局3歳児か5歳児か7歳児に分類できちゃうのよね。」ってことらしいです。

3歳児はまともに日本語が通じない、社会性がない、気に入らなければかんしゃくを起こしたり泣き叫ぶ。

5歳児は少し社会性が出てきて、一応会話はできるものの自慢したがる、人の話聞かない、気に入らなければケンカする。

7歳児になるとようやく大人とちゃんと会話ができる、礼儀をわきまえる、論理的に考えられる。

といった内容だったかな?と思います。テキトーだけど。

このお客さんとは仲良くなって、一緒に知人の家に遊びに行ったりしたんですが、その人が結構個性的な人だったんで「あの人は5歳児ね。」って判定でした。結構自己主張激しかったからなあ。

もう一人同席していた知人と私は、めでたく7歳児認定いただきましたあ、やったあー!

で、女性はどうなのよ?というはなしですよねえ、やっぱり。

女性は9歳児まで成長するらしいです。愛を基本に考え行動することができるようになるってことらしいんですけどね。

なあんだ、それって『女神』じゃん、と私は考えているのです。

でもまあ、バチっと「男はこれ、女はこれ!」って分類できるはずもなく、「そんな傾向を示しやすいよ。」という事だと思いますけどね。

どうだろ、頑張れば8歳児くらいなれるかな?まあいいか、7歳児ならトップクラスなんだし。上手に甘えれば『女神』のお姉ちゃんたちは可愛がってくれるしね。

てなわけで、どうあがいても『女神』たちにはかなわない!とあっさり認めてしまって、上手に甘えさせてもらうのが得策だよ、とゆう提言でしたあ。

自分がまだ見ていない世界は、新鮮だよねえ

自分がまだ行ったことのない土地、経験したことのない事、考えたこともないような内容、見たことのない生物、もう、あげていったら切りがありませんねえ。

という事は、『自分の中にある世界』というのは結構限られた情報によって作られている世界だという事ですね。

3人で話していたら3通りの『自分の中にある世界』の常識の範囲内で『言葉』を選んで話すもんだから、たまにそれぞれの『言葉の使い方』に違いがあって、誤解が生じるわけですよね。

ずるい人なんかは、わざと誤解されるように言葉を選んで相手の『自分の中にある世界』では利益になるような選択をさせて、お金や資産や時間を奪い取ることをします。いわゆる『詐欺』というものですね。

でも、大多数の人は純粋に『自分の中にある世界』の常識の範囲内で最善と思える言葉を自動的に選択しているはずなので、誤解が生じるのは話す人の『自分の中にある世界』の常識と、聞く人の『自分の中にある世界』の常識のズレからなんですよねえ、きっと。

世の中のすべての悲劇や喜劇は、そんな誤解から生まれているのかもしれませんね。

これを回避するためには、全ての人が『自分の中にある世界』での常識を共有化する事なんですが、えーっと、膨大な作業になりそうですね。

でも、自分にできることは少しずつでも実践していけば、常識の共有化ができていくことによって誤解が少なくなっていき、悲劇や喜劇も起きなくなってくると思いませんか?

では、自分がまだ見ていない世界を見る方法は?

いくつかありますね、オーソドックスなのは『旅に出る』なんですが、『人と話す』のも、その人の中の世界を知るという点で新たな発見をすることがあります。

それに近い方法が『本を読む』であったり『ブログを読む』であったりするわけですが、いかんせん『言葉の使い方、読み方』には難しいものがあって、書き手のスキルによって自分の中にある世界がうまく伝えられなかったり、読み手のスキルによって間違えて読み取ってしまったり、があるわけです。

なので、文字だけの情報では真意が伝わりにくいのが実情ですよね。

そんな中でも、いろんな人の書いている内容を総合的に考え合わせると、見えてくる世界があるわけですよ、実際のところ。

ここ数年、夫婦でいろんな図書館に行って借りられるだけ借りて読んでいるのですが、最近借りてくる本には「当たり」が多いように感じます。

新刊の棚から借りてくることが多いのですが、タイトルとパラパラめくって読んでみた感じだけで「おっ、これは読んでみよ!」と思うものが、じっくり読んでみるとこれがなかなか、思いもよらない価値を与えてくれるんですよねえ。

自分の人生と重ねて読んでしまう、という事なのかもしれませんが、困難や挫折を経ていろんな人に支えられ、助けられ、くじけず生きてきたからこそ今がある、人に感謝さえされるほどになれている、といったストーリーが多いかなあ。

なんだかね、共感できるわけですよ。そして、言いたいことがすうーっと入ってくるんですねえ、イメージとともに。

本まで出版している人たちなので、自分よりも1歩も2歩もいやいや100歩も先を行っているとは思うんですが、目指す方向は一緒なんだな、きっと。と思えるわけなんですよね。

という事で、今回借りた中で特にお勧めしたい3冊を紹介しておきます。

時間があったら別記事で書きますねえ。

愛について考えてみるとね

じつは、わたしは『聖書』をまじめに勉強していた時期があったのですが、その中に「神は愛です。」という記述があるんですね。ですから、『愛』については結構まじめに考えましたし、実践しよう!強化しよう!なんて努力はしてきたつもりなんですね、これでも。

他にも「愛は結合の完全な絆です。」なんて表現も出てきます。英語では「perfect bond」って書いてあるんですよ、「へええ、完全な接着剤ですかあ!」って思いましたね。

つまり、間に『愛』があると完全にくっついてるわけなので『一体』とみなすことができるわけですよ。それで聖書の中にも「結婚によって神が男女を結び合わせたのだから一体となる」とか「男は自分の体を愛するように妻を愛しなさい」みたいな表現があるんですよ。ほら、髪の毛なんかも頭にくっついてる間は「自分の体の一部」って思うでしょ?普通に。もちろん接着剤でくっついてるわけじゃないですけどね。

でも、髪の毛って抜けてしまうと「ゴミ」として扱われてしまうじゃないですか、普通に。

これって怖いことだと思いませんか?特に結婚している既婚者のあなたですよ。

結婚式のときに誓いましたよねえ、確か「順調な時も順調でないときも、死が二人を分かつまで…」でしたっけ?「あなたを愛する。」って誓いましたよね?あれ?自分だけかな?

そこで二人は完全な接着剤でくっついて一体になったわけですよ。そして苦楽を共にして一体として生きてきたわけですよね、ずうっと。

接着剤、まだ完全ですか?ちゃんとメンテしてますか?つながりが完全な接着剤である『愛』ではなくて、単なる惰性になってしまっていたら…何かの拍子で離れてしまい、「ゴミ」として扱われてしまうかも…ああ!怖い怖い!

これからは『女神性』優位の時代、女性はどんどん強くなっていくと思われます。脳の作りも違って総合的に考えますからね、かないませんよ絶対。

ぜひ、最初に抱いた『愛』を忘れないように、お互いにサポートしていくスタンスで一体のままで行きたいですよねえ。

時代の転換期って言われてますよねえ

私が興味をもって読んでいる本やブログの中では、「今は時代の転換期である!」といった表現が多数出てきます。『占星術』に絡めたり、『ポールシフト』に関係しているとか、いろいろですが。

競争社会であった今までとは違い、これからは『愛』や『繋がり』が大事になっていく時代である、と私なりに受け取っているのですが、「なあんだ、これって『大将性』優位の時代から『女神性』優位の時代になるってことなのかな?」と一人で納得してしまいました。

つまり、今までの時代は体でいうと交感神経優位である『大将性』優位の時代ですから、どちらかというと男性にとっては得意な分野『闘争か逃走か』に集中していれば、時代の流れに乗れた時代。

しかし、これからは副交感神経優位であるような『女神性』優位の時代になっていくので、『みんな仲良く』とか『安心で心地よく』に集中していったほうが時代の流れに乗れるのではないか?という理解です。

かなり長い間、男性優位の時代が続いてきていると思いますが、かつては『卑弥呼』など、女性優位であった時代もあったのではないだろうか?と最近は思っています。

歴史は改ざんされている、という事実もだんだん明るみに出てきているようなので、『男尊女卑』や『女性蔑視』といった風潮は、『ずるい男』が考え出した『洗脳』なのではないか?と思っているほどです。

大将性』優位の時代では、「勝たなければ意味がない。自分さえ生き残ればいい。」みたいに生きたほうが生きやすかったかもしれませんが、『女神性』も持ち合わせている人にとっては生きにくい時代だったのかもしれません。

『愛』や『やさしさ』を優先させたいのに、それができない、させてもらえない、といった事態が特に組織社会システムの中では多かったのではないでしょうか?

『やさしさ』は、『大将性』優位の時代では「弱さ」の代名詞みたいにされていたように思います。

そんな真っただ中に生きていると、やさしい人は結構『うつ病』になってしまいますよね。じつは、私もそうなってしまった一人なんですよねえ。

でも、これからは違いますよお、きっと。『やさしさ』がトレンドになってきます。

Cafeで仲良くなったお客さんと話していると、よく言われるんですよねえ「やさしいだんなさんだねえ。」って。

結構亭主関白な旦那さんに苦労している女性は多いようなんですね、話を聞くと。

そんな旦那さんたちには、「これからの時代は『やさしさ』こそ評価されるんですよ。『強い男』を演出すると、かえって低評価になっちゃいますよ。」と教えてあげたいですね。

まあ、「信じるか信じないかは、あなた次第です。」なんですが。

免疫力を高めれば、薬はいらない!

『安保徹』さんの書かれた本ですね。

精神的、身体的不調や病気は、何か間違った考え方、生き方、行動の仕方によって本来バランスの取れた状態で生活できるはずの精神や身体が、「バランス崩れてますよお、正したほうがいいですよお。」と知らせてくれている事なので、そのお知らせを無視してしまう、あるいはお知らせが来ないようにしてしまう薬はいらないのだ!といったスタンスで書かれている本だと思います。

でも、精神的、身体的不調や病気の時ってつらいですよね、実際。

そこで、彼の持論は『免疫力』が不調や病気を治すんだし、そもそも不調や病気にならないように守ってくれるチカラなんだよ、という事なんですね。

『免疫力』に関係しているのは『自律神経』で、『交感神経』と『副交感神経』があるんですが、それぞれが受け持つ得意分野の働きと生み出す状態があるようです。

『交感神経』は、外敵侵入!などの異常事態が得意分野のようで、『顆粒球』を増やして異常発生場所へ派遣し、外敵をやっつけます。まるで『大将』のようですね。たまに間違えて自分の体を攻撃してしまい、アレルギーなんかを引き起こしてしまう欠点もあるようですが。

『副交感神経』は、ストレスのない安心状態が得意分野のようで、『リンパ球』を増やして傷ついた部分を修復して癒していく役目を持っています。まるで『女神』のようですね。でも、その状態にどっぷりつかりすぎてしまうと、異常事態に対処できないヤワな精神や体になってしまうようなんですね。

どちらもやりすぎてしまうと、かえって体には良くないようで、バランスが大事なんですね。

そのバランスが良いか悪いか簡単に見分けられるのが『深部体温』なんですね。ベストなのは”36.5℃”なんだそうですよ。

『交感神経』が優位でも、『副交感神経』が優位すぎても、平熱がそれより低くなってしまうようですよ。

平熱が35度台なんて要注意!!免疫力が落ちていて、がんになってしまうかもしれませんよ。

具体的には、ぜひ本を読んで確認してください。

安保さんはたくさん本を出していますが、この本は大変読みやすく理解しやすいです。

自分自身で免疫力を強化していかなければならない今の時代に必要な情報だと思います。

どんなわたしも愛してる

この本の著者であるジョナサン・ヴァン・ネスさんの事は、わたしはこの本を図書館で見つけるまでは知りませんでした。

何となく気になって借りてみたのですが、「こんな本借りたんですよー。」とCafeのお客さんに話してみたら、「あっ、この人知ってるう。」と反応されたので、かなりの有名人なんですね。

そんな、アメリカ国内だけでなく日本の都市部でない一市民にさえ知られているほど有名人になった彼が、『最高の瞬間には犠牲にするものが必ずある』と知人から教えられていたことを身をもって経験したこと。

その犠牲によっていつしか心が病んでしまったこと。

そこから立ち直るために払っている努力、方法、成果などを実体験を通し赤裸々に公表してくれている本でした。

その方法を一言でまとめると、題名の『どんなわたしも愛してる』なんですね。

自分の中にはいろんな自分がいる。まるでワンボックスカーに乗って一緒に旅をしているみたいだと彼は書いています。状況に応じていろんな自分の中の一人が強引に運転席に座ってしまうようなものといった表現がされていました。

ある状況下に置かれると、急に「ポンッ!」とスイッチが入って別人格が出てしまう事ってないですか?わたしはあるんですよねえ、実に。それで周りに迷惑をかけることしばしばなんですが。

後で落ち着いたときに思い返してみると、「なんであんなこと言っちゃったんだろう…やっちゃったんだろう…」てな状況に陥るわけですね。

そうなんですよ、言っちゃった自分を、やっちゃった自分を、許せない自分がいる。

言っちゃった自分も、やっちゃった自分も、それを許せない自分も、ぜーんぶ自分の一面なのに、「許せない!」「このままではいけない!」「直さなきゃ!」「でも直らない…」をぐるぐると回り続けてる感覚ってないですか?

彼も多分そんな感覚に陥ったんだろうと想像します。

でもね、全部自分なんですよね、いっしょにワンボックスカーで旅してる仲間なんですよ。途中で追い出したり途中下車させるなんて無理無理。

だったら一緒に楽しく旅したほうがいいじゃない。運転交代のタイミングをベストな時にすればいいだけ。

でも、自分ではベストと思って運転交代したのに、相手にとっては気に入らなかったって時はありますよね、当然。

そんな事態が、有名になればなるほど出てくるわけです。

そんな事態をなるべく避けたい、と思うと安全対策をとるようになるんですよねえ。

嫌われないように、ポジティブな面だけ見せよう。ネガティブな面は隠しておこう。

そうすると、ポジティブな面にひかれて人は多く集まってきますが、不安はどんどん大きくなってしまうわけですね。「ネガティブな面を知られたら嫌われてしまうかも…」

そんな感情を『恥』というんだと彼は知人から学んだようですね。

そこで彼がとった行動は、自分の中のすべての自分をさらけ出すこと。

ポジティブな面もネガティブな面も全て知ったうえで、「それでもあなたのことが好き。」と言ってくれる人たちの中で安心して生きていけばいいじゃないか。それがうまくいってきている。みんなにもそのことをわかってほしい。

そんな気持ちが伝わってくる本です。

そのための第一歩が、自分の中のいろんな自分を、自分自身がまず愛すること。

『どんなわたしも愛してる』なんですねえ。

『隠しておきたい自分』がいる人は、読んでみてもいいかもしれませんね。

無意識さん、催眠を教えて

この本の著者である大嶋信頼さんも、本の中で書いていることですが、「催眠」について、誤解が蔓延してしまっているのではないか?と感じました。

かけた相手を意のままに操るための術なのではないか?という誤解です。

確かに悪用される場合もあるのかもしれませんが、善用もできるよ、という事なんですね。

多くの人は、幼いころからマイナスの暗示にかけられてしまっているそうです。まあ、言い換えれば『洗脳』ですよね。

それで、暗示にかけられてしまうと脳は意識的に限界を作ってしまうようなのです。

脳をコントロールしている脳内電流は、通常時は非常に微弱な電流で制御されているので、細やかな思考とか配慮とかできるようなのですが、暗示によって作られた限界を超えた状態になると、強烈な異常電流が流れる『孤独の発作』が起きてしまうそうなのですよ。

これは、脳内制御における「ノイズ」のようなもので、正常なコントロールができなくなってしまうようなんですね。

そこで、催眠というのは「ノイズ」を取り除いて、正常なコントロール状態に戻せるよう意識的な限界のない状態つまり、「無意識状態」にすることらしいのです。

そして、この「無意識状態」こそ「本当の自分」らしいんですよね。

つまり、『思い込み』を外していく手法と言えるかもしれません。

簡単に取り組めそうな手法から、ちょっと高度で訓練が必要な手法までいくつかあって、守るべき注意事項などもあるので、興味のある方はぜひ読んで確認してください。

わたしですか?私の場合は、特に直近のニーズがなかったので試していませんが、これは役に立つだろうな、と思ったので紹介した次第です。

試して効果があった人は、コメントしてくださると他の人の役に立ちますよねえ。

聖なる科学―真理の科学的解説

これはもう、本当に「読みたいと思った人だけ読んでください。」という本です。

かなりぶっ飛びで理解が追いついていかない内容ではあるのですが、「そうなのかもしれないなあ。」と思える感じですかね、私の場合は。

聖書の記述と照らし合わせている部分が多いので、聖書に通じてない方にとってはチンプンカンプンだと思います。

でも、もしこれに納得することができたなら、『宇宙の仕組み』とか『人生の目的』なんかも理解できてしまうと思うので、生きるのが楽になりますよね、きっと。

なので、”ちょいお勧め”にとどめておきますね。

あるヨギの自叙伝

ニコラス・ユウジ』君から情報を得て、まずは図書館で借りて読んでみたのですが、まあ内容が濃い濃い。

20世紀の初頭に初めて、インドから欧米諸国に向けてヨガの教えを伝えるために遣わされた方の自叙伝なんですが、ヨガについてだけでなく、聖書についての言及も多く、さらに科学技術についての情報も多く含まれていてびっくりしました。

聖書については、結構まじめに勉強した時期があるので、「ああ、あそこの記述は、こんな風に解釈できるのかあ。」と納得できる内容ばかりで、とても興味深い内容です。

科学技術についても、「へえ、この時代にもうこんな技術が確立されていたんだあ。」と、目からうろこの情報もありますし、Google検索で確かめることのできる情報ばかりなので、一気に信頼感が増しました。

ヨガって、単なる健康体操なんかじゃなくって、『宇宙意識』と繋がるための生き方全般であって、一般に知られているのは、繋がりやすくするためのポーズだけに限られてしまっているような気がしました。

私としては、他の情報源からの情報とリンクさせて考えたり、身の回りに起こっていることと関連させて、『宇宙の仕組み』や『人生の目的』を理解できるようになるキッカケを作ってくれた本ですね。

ちょっとお高い価格の本なので、図書館などで借りて確かめてから手元に置くかどうか決定したほうが良いかもしれませんね。

でも、読んだら手元に置きたくなっちゃうと思いますが、人それぞれですからね。

あと、彼の師匠が書いた『聖なる科学―真理の科学的解説』もお勧めします。ぶっ飛びの内容で、まさに『見えない世界』の話なので、『思い込み』の人には、到底信じられない内容なんですけどね。

見えない世界を確信するには!

見えない世界は、見えないもんだから、見えるものしか信じない人には信じられない世界ですよね。当たり前だけど。

でも、空気や電気や雰囲気みたいに見えないものだけど「これは確実にあるな。」と頭の中で理解できるものってありますよね。

それは、風に揺れる木の枝を見たり、水の中の泡だったりするかもしれないし、灯りをつけたりモーターを回したりする影響だったりするかもしれない。

自分が得てきた情報を、自分が経験する事柄に照らし合わせてみて、そのつじつまが合っていたら、自分の頭の中で「これは確実にあるな。」となるわけですね。まあ、確実だと思うまでに必要な回数は人によって違うでしょうけど。

あるいは、自分が見たり経験したことからだけではなくて、人の経験を聞いたり読んだりすることによって「これは確実にあるな。」と頭の中で理解することもあるはずですね。

でも、聞いたり読んだりするだけで信じられる内容って限られていて、その情報源をとっても信頼している場合に限られますよね。

ある人にとっては、親だったり、先生だったり、尊敬する人だったり、NHKだったり?

これは逆に言うと、信頼している情報源からの情報は、自分が経験する事柄に照らし合わせてみて、そのつじつまが合っているかどうか確かめることなく、ストレートに「これは確実にあるな。」になってしまう危険性があるという事になりませんか?

人と話していると、信じている事柄を、自分がちゃんとつじつまがあっているかどうか確かめることをしないまま『思い込み』にしてしまっている事に気づくことが多いですね。

『見えない世界』あるいは『自分がまだ見ていない世界』について語るときは、なぜそれを信じられるのかという、自分でつじつまがあっていることを確認した、という事や「この情報源はこれこれの理由で信頼できるんだ!」という事まで、熱く語れるようにしたいですね。

まあ、熱く語れないときは「なんちゃって」なんですけどね。